明るい日本の未来を信じて
アイドルコラージュ、縮めてアイコラ
女性芸能人の顔画像をくりぬき、どこかから引っ張ってきた裸の画像に貼り付ける事で、あたかもその女性のヌードのような画像を作る手法の事である
自然で違和感のないアイコラを作る技術者達はアイコラ職人と呼ばれ、アイコラ職人達はその肩書きに恥じぬ様プロ意識を持って女性芸能人の顔画像をくりぬき、どこかから引っ張ってきた裸の画像に貼り付けている
紹介が遅れました、アイコラ職人やらせてもろてます、薄着です
僕は中学を卒業後、高校に進学せずアイコラの道に進んだので職人歴は7年になる
まだ現場では新人扱いだ
スポーツ新聞でも話題になっていたが "日本にFake Nudeの文化を持ってきたアイコラ界のザビエルこと竹内さんの引退に始まり、最近は日本全国で職人が減りつつある
先日も衣服を透かさせたら右に出る者はいないと言われた"透けコラ職人katsuya"氏も第二子の誕生を機に引退、それに続くように、男性器をくり抜き、女性芸能人があたかも男性器を手で愛撫していたり口で咥えてるように見せたら右に出る者はいないと言われた"添いコラ職人SS"氏も卒業という形で引退、的外れな政治的発言で炎上し引退する形になった"かけコラ職人BUKKAKE"氏という精液をくり抜き、女性芸能人があたかも顔射されているようなアイコラを作る彼もまた、右にでるものはいなかった
そもそも何故職人が減っているのか
〈コラ画像転載問題〉
職人の作った作品をあたかも自分が作ったかのように転載することでアクセス数を稼ぐ若者が後を絶たない
いくら作品を出しても転載されては職人のモチベーションが下がってしまう、しつこい転載者に呆れて界隈を引退する者も少なくなく、現在は深刻なコラ不足時代アイコラ氷河期と呼ばれていて、アイコラ好きが避けるべき転載が招く、悲劇的な未来を変えるために、是非とも、愛コラ党※には頑張って頂きたい
※国会議事堂を爆破して勝手にヨドバシカメラを建てた反社会的組織のリーダーが出馬した際、アイコラ手当てを1.8倍上げると適当に公言した為当選し、チンポ猿留年党から愛コラ党に党名を変更した
僕はね、基本的に芸能人のアイコラは作らないんですよ
同級生、つまり素人のアイコラを作るわけ
あなたの周りにも卒業アルバムを見てオナニーする同級生がいたはず、なにせ僕もその1人だったし
もっとも今は卒業アルバムを卒業している訳だけど
アイコラ職人を目指したきっかけは親父の影響で、親父は祖父を引き継いでいるので僕もそのつもりだ
昔、祖父がアイコラ職人になったキッカケを聞いた事がある
当時の祖父は戦後、暑さとろくに食事も取れない状況でいつのまにか道に倒れてしまっていたそうだ
気付けば布団の上だった
「おや、気がついたかい」
医者に声をかけられた
「私はどうしてここに…」
医者の話を聞くと、ある男性が道で倒れていた祖父をわざわざ離れた地域の病院まで運んでくれていたのだ。祖父はその恩人にお礼がしたい、その男の名を聞いてないかと医者に聞いた
「貴方の名を聞かせてくれ、って私も聞いたんだけどね、そしたら彼 「名乗るほど大した事はしてないよ、ただの"あゐこら職人"さ」って」
どうにかお礼がしたい、そう考えた祖父は戦後始める事すら難しいとされた"あゐこら"を始めた
"あゐこら"を通じて彼に会えるかもしれないから
こうして祖父は夢だったキムチ職人を諦め、アイコラ職人となった
当時は大変だったらしい
素材不足に始まり作品の著作権侵害の他、アイコラ技術が進んでいた海外と違って作品に使用される人物のパプリシティ権や名誉毀損が今より重視されていたからだ
周りからの視線も冷たく、国からの援助もほとんど無かったという
それが今では日本を代表するほどの職人になった
海外から" JAPANESE FAKE NUDE SAMURAI "と呼ばれている程の実力を持つ。そんな祖父を誇りに思っている
中学時代、僕は神童と呼ばれる程のオナニストだった。オナニー伯爵とも呼ばれていた。
授業中に女子が鼻をかんだティッシュの投げ捨てた位置を把握しておく。放課後の掃除時間は率先してゴミ箱を捨てに行き、こっそりソレを拾い、トイレの個室でソレを口に含みながら"1人仕事"を終わらす。
他にも放課後、女子の机の引き出しの中に置かれたメガネを拝借し、耳に一番当たるフレームの先端を舐めながら仕事を終える事もあった。
給食の時間になると、給食当番は1人でその日の給食が置かれた台車を給食室まで取りに行き自分のクラスに配達する。
給食室から自分のクラスまでの間の給食当番は無敵なので、こっそりおかずやデザートをつまみ食いする当番が多数いた。
僕の学校は、何百本とバラで箸が入ったケースから自分の箸を自分で取る、いわゆる定食屋システムだった。そして男子の箸ケース、女子の箸ケースと分別されている。
ここまでくると分かるだろうが、オナニー伯爵改め僕は箸に手を伸ばした。箸の先端をまとめて尻の穴につける。そうすることでクラスの女子は間接的に僕の尻を舐めた事になる。
給食中何も知らない女子が白飯を口にかきこむのを見て興奮する。それはまるで見境なく毒をバラまくテロリストのようだった。
しかしバイオテロは続かなかった。
次の日に6人がトリインフルエンザで休んだのだ。未だに自分の尻穴が恐ろしくて仕方ない。
正直、当時は天狗になっていた。
他に自分より優れたオナニストがいなかったから。
あれは中学校3年生、他校のオナニストと揉めて殴り合いの喧嘩になった時の事だった。初めて親父に叱られた。今でも覚えている言葉がある。
「いかなる理由でもオナニストは人を傷つけてはいけない」
親父はこの言葉と共に親父が作ったアイコラを見せてくれた。それまでアイコラを知らなかった僕はあまりの違和感の無さに衝撃を受けた。GIF画像の"動くアイコラ"もあった。
初めてQueenを聴いた時の衝撃に勝る出来事だったのを覚えている。
「親父のようなアイコラ職人になりたい」素直にそう思った。
僕は歴史に名を残す芸術家の元に生まれた事を再認識し、田舎でくすぶっていた小さなオナニストはアイコラの街、華の東京に向かう事を決めた。
《井の中の蛙大海を知らず》
僕は親父の偉大なる背中を追いながら東京で"自分を磨いて"いる。
2つの意味で。
ーーー終ーーー
【追記】先日、インターネットに公開していたアイコラに被害届が出され、著作権及び肖像権の侵害で親父と祖父は逮捕されました。
親父と祖父の作った作品には著作権がある、我々が著作権違反で逮捕されるのはおかしい、と反発していました。
そもそも貼り付ける素材に著作権や肖像権があるらしく2人とも豚箱行きでした。
祖父は3度目でした。
「そこは盲点だった。素材の気持ちは考えていなかった。」
親父はそんな言葉を残して僕の前から去っていきました。
今はアイコラと距離を置き、通信制の高校に通いながらバイトをしています。
「いかなる理由があってもオナニストは人を傷つけてはいけない」
この言葉を胸に母親と暮らしていきたいと思います。